サトルティ


もっとも曖昧に使われているマジック用語がサトルティではないでしょうか。サトルティがよくわからないので、よくわからないものをとりあえずサトルティと呼ぶフシすらある気がします。

サトルティとは暗に示すことだと言われますが、この説明ではどういうコンセプトなのかよくわかりません。もう少し丁寧に説明してみたいと思います。

人間の情報処理には、意識的処理と自動的処理があります。意味は字義通りで、意識して能動的に行う処理と、意図せず受動的に脳が勝手に行う処理です。「見る」の種類についてのブログで書きましたが、視覚情報ではlookとwatchが意識的処理で、seeが自動的処理になります。この自動的処理を経由させての印象付けがサトルティです。

意識的処理は基本的に情報をひとつずつしか扱えません。何かを意識的に処理しているとき、他のものが自動的処理に回されます。したがって、サトルティで入れたい印象は、メイン情報ではなくサブ情報にします。副次的情報で届けるということです。

ラムゼイサトルティやカップスサトルティは、手が空であると主張した場合には成立しません。ペンなどを持ってそれをメインで示したときに、他に何も持っていない印象が入ります。意識的処理では弾かれることが自動的処理では通ります。受けた印象を疑う機能が自動敵処理にはありません。フラシュトレインションカウントも「違う面」をメインで見せるほうが、「同じ面」が成立しやすくなります。

オーラムサトルティは、左手だけではバレバレですが、右手を添えるとバレません。この原理は、「木を見て森を見ず」の逆の「森を見て木を見ず」です。全体を見るとき、部分が意識的に処理されることはありません。目立った部分がない限り、全体的な処理が優先され、部分がサブ情報になります。コインのフォールスターンノーバーも両手同時のほうがディセプティブです。

サトルティ情報は意識をすり抜けて入り、思い込みを作ります。誰に言われたのでもなく、自発的に思ったことには(実際には思わされているのですが)、なかなか懐疑的になれません。サトルティ的な手法はマジック以外でもマーケティングやプロパガンダで使われています。それだけ効くということです。脳にこのような脆弱性があるのは考えてみると恐ろしいことですが、とりあえずこの威力をマジックに使わない手はありません。

 

ポン太 the スミス

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