ストロングマジック


今こそ読まれるべき名著

マジックで見せ方が重要になるのはおおよそ自明と言えますが、その重要性とは裏腹にその議論はずっと軽視されてきました。ひとつには、マジックそれ自体が強いというのがあるでしょう。見せ方に多少の難があっても不思議が起こればそれなりにウケます。不思議のインパクトだけである程度押し切れたわけです。それが難しくなりつつある(あるいはすでになっている)ように思います。テクノロジーの発展と情報化です。「十分に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない」と言われるとおり、科学技術には魔法を現実に近づける、もっと言うと魔法を陳腐化する側面があります。技術が発展し、不思議なものが身の回りに増えていくなかで、不思議への感度は弱まっていかざるをえません。そこに情報化の波があります。マジックが秘技であったころ、その技術を知る者ないしそのデモンストレーションは特別でした。そのアドバンテージがもうありません。いまではマジックのタネがインターネット上のそこらじゅうにころがっています。タネ自体が広まらなくても、タネにすぐアクセス可能であるという認識が広まることで、トリックの価値が下がります。

だからといってマジックにおける不思議の重要性が下がるわけではありません。マジックである限り不思議でなければなりません。それはこの本でも強調されています。不思議でなければ、それはマジックではありません。マジックにとって不思議は必要条件です。ただ、それがもはや十分条件にはならないということです。不思議はジャンルを成立させるものであり、その上でエンターテインメントを成立させなければなりません。

映画と似た運命をたどるのではないかと私は思っています。奇しくも映画の創成期に活躍したのはひとりのマジシャンでした。世界初の映画監督とも言われるマジシャンのジョルジュ・メリエスは、さまざまな映像技術を開発し、その効果を見せることで人々を驚かせました。しかし、そのすごさで魅了し続けることはできません。すごいものすごくなくなるのです。ご存知のとおり、映画は映像技術のデモンストレーションではなく、それを用いて物語を表現するものになっていきました。

マジックももっと表現的になる必要があるでしょう。マジシャンは表現者でならなければなりません。では、表現としてのマジックには何が必要なのでしょうか? 表現者としてのマジシャンには何が求められるのでしょうか? それがこの本に載っています。

「この本はマジシャンから理論書と呼ばれるだろう。しかし、私はそう考えない。これは技術書だ」

ストロング・マジックのはじめにダーウィンはそう書いています。確かに、われわれはよくスライトのことを技術と言い、それ以外のことを理論と言いがちです。しかし、スライト以外にも技術はあります。そもそも技術と理論という区分がナンセンスです。たとえば、クラシックパスにもセオリーはあるわけで、つまり、さまざまな技術のそれぞれに理論と実践があるわけです。この本では、プレゼンテーションの技術を解説しています。理論的な話もありますが、実践的な助言や提案が主体になっています。

「ようやく開かれた議論が誕生した」とジョン・カーニーはこの本を称賛しました。それまで、どちらかというと主観的、感覚的に語られてきたプレゼンテーションの分野が、この本では客観的な事実に基づいて論理的に考察されています。この領域が論理的に議論可能であることを示した点で、この本には大きな価値があるのです。この本を読めば、ダーウィンの主張に同意するか、またはしないかになるわけですが、いずれにせよマジックの見せ方についての洞察が嫌でも深まります。非常に考えされられる内容です。タマリッツも「考えさせることで成長させる本」だと言っています。何についても言えることですが、答えを得ることよりも考えることのほうが重要です。

映像資料に溢れるいま、マジックの本は考えるためにあると言ってもいいでしょう。読書は映像視聴よりも論理的思考を伴うものです。話し言葉では聞き流してしまう不整合も書き言葉では見えてきます。読むのを止めて考えたり、戻って読み直したりもしやすい。本は思考に適した媒体ということです。

この本は書くエクササイズも求めます。考察には書くことも重要です。われわれはなぜか書かなくても考えられると思っています。でも、たとえば、47×69ぐらいの計算でも書かないと考えにくいわけです。われわれが抱える諸問題はそれより単純なのでしょうか。ある程度入り組んだ問題を解くには書いたほうがいいのです。

「選択の結果があなたのアクトだ」

マジックの演技には無数の選択があります。最終的にあなたがすべてを決定しなければなりません。もちろん、いままでも選択はなされてきたわけです。でもそれはどれぐらい意識的なものだったでしょうか。利用しやすいものを安易に採用しているだけにはなっていないでしょうか。この本では、たくさんの場面に選択があり、そのそれぞれにたくさんの選択肢があることを指摘し、そしてひとつひとつの選択の基準を示します。良い選択を重ねることでのみ良い方向に進めます。

とりあえずの良い選択はこの本を読むことです。
 
 
ポン太 the スミス

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