マジックはマイナーでよいのか


私はマジックがもっとメジャーになることを望んでいます。しかし、マジックはマイナーでよいという意見も昔から人気です。マイナーな利点は確かにあり、それはまた魅力的だとも思います。でもマイナーゆえのマイナスはもっと大きいと私は思うのです。また、「情報化」によってマイナーのメリットも薄れつつあるように見えます。

マジックがマイナーだと良いのは、やりやすさです。マジックを知らない相手のほうがやりやすくなります。マジックのタネを知らないのはもちろん、マジック自体見たことがない、という観客からリアクションを得るのは比較的容易です。マジックがマイナーであるほうが、そういう相手に当たりやすくなるでしょう。マジックがメジャーになると、その点で難しくなります。マジックを見慣れた人、やっている人にウケるのは大変です。

マジックは情報の非対称性に依存しているので情報が広まると成立しなくなる、という主張を見かけることがありますが、マジックはそこまで観客の無知に依存しきっているわけでありません。確かに知ることで破綻するものもありますが、知ってなお不思議に見えるものあります。また、ある原理を知っていることと、その原理が使われていると気づくことは別で、原理が巧妙に使われた場合、それは専門家でも見抜けません。

マジックをする人が増えるとマジックを見る人が減る、と言われたりもしますが、これも正しくありません。マジシャンはマジック番組を見ますし、マジックの動画を探しますし、ラスベガスに行けばカッパーフィールドのショーに行きますし、いろんなマジックバーに行ったこともあります。マジックをする人の方が、はるかにマジックを見る傾向があります。マジックをする人が増えると、マジックを見る人が増えるのです。

そして、良いマジックはマジシャンにウケます。マジックコンベンションの観客はほぼマジシャンです。それでも良い演技はウケます。良い必要はあります。普通のことではウケません。これが、マジックが広まるとツラいところです。ハードルが上がります。でもこれはマジックに限った話ではありません。あらゆるジャンルのものにその構図があります。平凡な料理で食通を満足させることはできません。しかし、だからと言って料理人が味音痴の客を望むなら、もうプロとして終わっています。

マジックはあまりに安易に演じられてきました。もっと他の芸事の基準に近づいても良いはずです。そうなると、演じないという選択が増えるかもしれません。でも、マジックが好きなら演じる以外にも喜びはあるでしょう。良いマジックに触れたいなら、マジックがメジャーになった方が良いのです。マジックがマイナーすぎるせいで、良いマジシャンが日本に来られず、良い本が翻訳されません。マジック人口が数倍になれば状況はかなり変わるでしょう。

そして、マジックはどのみちマイナーです。日本のマジック人口は3万人などと言われていますが、それが30万人になったとしてどうだというのでしょう。99%以上の人は結局マジックをしません。マイナーな範囲でのメジャー化は、ほとんんどメリットしかないように思います。

秘密を広めたくないと言っても、もはやほとんんど避けられないのが現状です。マジックのタネはYouTubeで垂れ流しになっています。その現実を前にして、マジシャンの数を少なく保って秘密の守ろうというのはナンセンスでしょう。逆に、マジシャンが増えたほうが、守れるところが大きくなる気もします。

マジック以外の要因でも、マジックはだんだん難しくなっていきます。1000年前にタイムスリップすれば、単純なトリックでも驚くほど驚かれるでしょう。でも、スマホを見せれば、もっと驚かれるはずです。「十分に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない」という言葉がありますが、技術は日々進歩して魔法に近づきます。それが当たり前になっている現代人にとって、マジックによるささやかな不思議はさほど衝撃的ではありません。そして、いろいろ視聴しやすい環境にもなり、衝撃映像が日常的に見られます。衝撃的なことを見てもあまり衝撃がありません。奇跡と驚きハードルは今後も上がり続けます。

マジックがすばらしいものであり続けるには、芸としてアートとして成長していく必要があるでしょう。マイナーで細々やっていてはなかなかそれが望めません。マジックがもっとメジャーになり、良い具合に活性化することを願うばかりです。

 

ポン太 the スミス

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