クレジット問題
クレジットをきちんと付けるべきだと我々マジシャンはよく言います。しかし、実際的にも哲学的にもそれは決して簡単ではありません。
このテーマで書くことになったきっかけはミッキー・ウォンというマジシャンです(スーパートリプルコインの人とは関係ありません)。シック2のティーザーで流れている3フライについて彼が不満を持っていることを我々は間接的に聞きました。何をクレジットしなかったと言うのでしょうか? プロット? 違います。それはクリス・ケナーのものです(ジョナサン・タウンゼントのルーティンにさかのぼることができます)。ルーティンのフェイズ? 違います。テクニック? おしい! でも違います。正解はなんでしょうか。
ミッキーの苦情は、バックサムパームをするときポン太がローレンス・ゴードンから習った中指の代わりに人差し指を使ったことでした。書き間違いではありません。違う指でやっただけです。より正確に言うと、新しい指でもありませんでした。ローレンス・ゴードンに確認したところ、彼もその指を試し、最終的に採用しませんでした。もっとも、その指が誰の発案なのかというのはポイントがずれています。そんな微妙なことにクレジットを求めるのは2つの大きな問題があります。ひとつは現実性の問題です。名前も知らない香港のマジシャンが思いついた本にも動画にも発表していないことをポン太が知っていたとしたら、彼はコインマジシャンというよりは一流のメンタリストでしょう。誰も思いついていないアイディアであることを確認するために世界中のローカルクラブを訪れなければならないのでしょうか。決して調べる必要がないと言いたいわけではありません。でもそこまで細かいところまでしないと不十分ならば、誰も発表する自信と時間が持てないことになります。
2つ目の問題は、もっと根本的です。マジックでは、とくにコインマジックでは指を変えることは誰もがすぐに試すことです。指違いは誰のものでもないのかもしれません。クレジットは白と黒に分かれるものではありません。片方の端にはゼロから作られたルーティンがあります。それはあきらかにクレジットする必要があるでしょう。もう片端には、既存のカードルーティンをそのまま、青いバイシクルの代わりに赤いバイシクルを使うだけの「アイディア」があります。まともな判断力がある人なら、それがクレジットに値するものだとは言わないはずです。しかし、ほとんどのマジックはこの間のどこかになります。問題はクレジットが大切かどうかというよりもどこで線を引くかです。
ミッキー・ウォンの場合、クレジットの必要性はかなり疑問です。それでも、ポン太はミッキーの苦情を聞き、彼をクレジットに加えました。しかし、残念ながらそれはこの話の終わりではありません。シック2の日本語版が出たとき(英語版は1週間後に出ました)、ポン太のクレジットに不満がある、とまた間接的に聞きました。しかしそれは日本語の誤解によるものでした。英語版が出たときに、彼がクレジットに納得する形で事態は終結しました。と、思っていました。が、また先日、ポン太が許可なしで発表したという書き込みが、彼の知り合いによってSNSに投稿されました。
アイディアを盗むことや人の貢献を認めないことはマジックの深刻な問題です。でも公然と他者を非難するとき、正しい根拠と正しいやり方で行わなければなりません。証拠もなく、本人と直接話そうともせず、指さして(人差し指©ミッキー・ウォン)中傷することは何の解決にもなりません。
ベン・ダガス