ルビ・フェレスの衝撃

TMAコンベンション2019に参加していました。豪華ゲストによる熱演がたっぷり堪能できる、愛好家には本当に至福の時間です。

しかし、私の心をすっかり奪ったのは、1人のコンテスタントでした。ルビ・フェレス、マジック大国スペインから来た20歳のマジシャンです。彼のコンテストアクトはあまりに衝撃的でした。演技が終わった瞬間、誰もが彼の優勝を確信しました。桁違いです。そして結果はやはり当然の1位。

後で審査員の一人と話す機会がありました。「ルビはすばらしいですね」と言うと、「いや、彼の演技は好きじゃない。だから点数をだいぶ低くした。まあそれでも1番高い点にだけど……」。それぐらい抜けていたわけです。

コインマジックに取り組んだとことのあるマジシャンなら、彼のアクトに特にショックを受けるはずです。私がなんとなく想定していた「コインマジックで表現可能な限界」を彼はあっさりと超えました。私が知る限りのマジックでは達成しえないはずの魔法が次々と起こります。圧倒的という言葉では足りないぐらいの現象です。見終わってしばらく放心状態になりました。

さすがスペインで技術的にも抜け目がなく、言葉も音楽も使わずに現象を伝えきる表現力もまた20歳のものではありませんでした。

ルビをよく知るマリオ・ロペスは「彼は数年後すごいことになるよ」と言います。いや、現時点でスゲーよ! ルビの今後の活躍にご注目ください。

 

ポン太 the スミス

イントランジット・アクション

ハビー・ベニテツのコンテンツ『オラ・ハポン!』を扱う上で、イントランジット・アクションは説明しておく必要があると思い、このブログを書きました。

イントランジット・アクションは日本語で言うと「行為中の動作」ぐらいでしょうか。

例えば、グラスを動かしてからテーブルを拭いた場合、その一連の流れはテーブルを拭く行為と見なされます。もちろんグラスを動かす動作も知覚されますが、それはテーブルを拭くのに付随する動作であり、二義的な意味しかないため、処理が浅くなります。論理的思考や批判的思考の対象にはならず、記憶にも残りません。テーブルを拭き終わってから、グラスを動かしたか尋ねても、「それは(意識して)見ていなかった」となるはずです。ごく稀に「グラスは、中央から右に動かし、そのあと左に動かしましたね」というように情報が欠落しない人もいて、そういう人はいわゆるスペイン派のマジックが全く不思議に見えなかったりしますが、まあそれは例外です。

技法をイントランジット・アクション、つまり主たる行為のための副次的動作にすることで疑われにくくなります。同じフォールストランスファーでも、単にコインを渡すより、ペンを取るためにコインを渡すようにしたほうが疑われません。

アスカニオはイントランジット・アクションを非常に重視していました。その原理自体はアスカニオ以前からマジックで使われていましたが、それにこの名前を付けたのがアスカニオです。命名は重要です。名前があるからはっきりと認識できるのです。名前を知った花は道端で目に留まるようになります。ミスディレクションという言葉を知っているから「いまのはミスディレクションだ」とわかります。「どこかに注意が向いていたら他への注意が薄くなるので、いまのはそれを使った」とはなかなかなりません。名前がないと長ったらしく説明的な言い回しになり、それは考察するときにも脳のメモリを圧迫します。だから専門用語があるわけです。イントランジット・アクションという言葉を覚えてください。

アスカニオの弟子であるハビーも、当然イントランジット・アクションを重視しており、『オラ・ハポン!』でもイントランジット・アクションを多用しています。そして、その細やかで巧妙なやり方に私は感動を覚えました。このコンテンツはいろんな見所があるのですが、上質なイントランジットアクションの例が多く見られる点でもおすすめです。

 

ポン太 the スミス

言葉を選んでください

普通のブログに加えて、ビデオブログも投稿していこうと思います。プレゼンテーションやセオリー、テクニック、トリックについての内容を考えています。

第1回目の今回は、カードを選んでもらうとき、使う言葉がマジックにどう影響するか、というテーマです。英語ネイティブではない方が英語でマジックをやるときに参考になると思いますし、日本語の「選ぶ」や「取る」、「引く」などでもこれに似た議論が可能でしょう。考えるきっかけになればうれしく思います。

ブログのフォーマットの問題で、少し変なレイアウトになっていますが、近々直します。

今後取り扱ってほしい内容がありましたら、ぜひご連絡ください。

 

ベン・ダガス

どのコインを使うべきか

「マジックにはどのコインを使うのが良いのか?」という質問をよく聞きます。私の答えは決まって「場合による」です。実際に何のルーティンをするのかを考慮しなければならないのは自明でしょう。特定のギミックが必要で、選択肢がひとつしかないのなら決定は簡単です。でもそのような制約がなく、例えばワンダラーサイズコインを選ぶ場合、ダブルフローリンかアイゼンハワーかチャイニーズコインかポーカーチップかをどのように決めればいいのでしょうか。考える価値のある要素は4つあると思います。どこにウェイトを置くかはあなた次第。あなたのキャラクターや演技スタイルで変わってきます。

1.視認性
若い(とても賢い)モーリッツ・ミュラーは可能な限り最大のものを使うようにしています。使用しているのはワンダラーより2ミリ大きいシルバーイーグルです。彼の場合、理にかなっていると思います。非常にビジュアルなスタイルでは、コインはお金というよりも物体です。観客にとっても、通貨か何かではなく、見えやすいかどうかが重要になります。

2.妥当性
このあいだロンドンに帰省したときに多くのストローリングマジシャンを見る機会がありました。彼らが使っていたのは2ポンドです。その見た目や直径から、デビッド・ロスやミゲル・アンヘル・ヘアが造幣局のコンサルタントをしていたかったことがわかります。ハーフダラーより少し大きく、ワンダラーより厚みがあります。そして金と銀の陰影は鮮やかではありません。でもそれは特定の仕事では完璧な道具になります。ロンドンのストローリングマジックは直接的で自然で即興的です。その場でモルガン銀貨を取り出すとそのフィーリングは壊れてしまうでしょう。1人の例外はブレンダン・ロドリゲスというパフォーマーでした。彼の派手で劇場的でビジュアルな演技では、アメリカの大きいコインが合っていました。

3.プロット
コインと現象を合わせることでマジックの意味はより深まります。どちら側から寄せることも可能です。特定のプレゼンテーションがあるのなら、もちろんそのテーマにあったコインを探せばいいでしょう。ギャンブル系の現象であれば、ポーカーチップがいいかもしれません。逆に、個性的なコインが、プレゼンテーションを示唆することもあります。そのコインが持つ音や色が、あなたの創造性をかきたてることもあるでしょう。

4.キャラクター
考えてみるべきだと思うのは、あなたが使う(コインも含めた)すべての道具はパフォーマーとしてのあなたを物語るものであるという事実です。理想的な世界では、あなたは何を使うのでしょうか。私の「英国紳士」というペルソナでは英国の硬貨になります。現行の通貨ではありません。私が使用しているのはダブルフローリン(130年間も使われていません)かチャールズとダイアナの記念硬貨(流通していた通貨ではありません)です。これらは他のどのコインよりも私のショーの雰囲気に合います。

最後に、一貫性というのも考えなければならないポイントだと思います。演技に使用するコインは一種類であるのが理想です。異なる技法やギミックでは異なるコインが好都合だったりするので、それが難しいことはわかります。でもそれはあくまでマジシャンの視点です。もし本当に魔法ができるなら、ワンダラーからハーフダラーにコインを変える理由はありません。それは「このコインはこのトリック用で、このコインはこのトリック用です」と観客に言っているようなものです。少し辛口かもしれませんが、カードマジックの場合を考えてください。マジシャンは演技中にデックスイッチするために苦労しています。もちろん単に色違いのデックを使うこともできますが、それが適切な行為だとは誰も思わないでしょう。コインマジックでも同じ基準を持つべきだと思います。プレゼンテーションでコインを変えることが正当化できるなら問題ありません。でも変えるための良い理由がないのなら変えないほうがいいでしょう(気づかれずにコインを足したり引いたりスイッチしたりすることは可能です)。私のショーでは、コインをチャイニーズコインに変化させてから元に戻し、見えない袖を移動させ、そして半分をかじります。(観客から見ると)ずっと同じコインが使用されています。

どのコインを使う場合でも、あなたのキャラクターやプレゼンテーションやマジックについて、そのコインがどういうメッセージを持つのかをぜひ考えてみてください。

 

ベン・ダガス

アイディアかぶり

トリックや技法のアイディアが法的に保護されないために侵害されやすいというのはマジックの大きな問題です。一方で、見落とされがちですが、保護の基準がないゆえの過剰リスペクトも私は問題だと思っています。その一例がベンのこのブログです。

もちろんマジックのアイディアにも一定の権利が認められるべきだと私は思っています。でもどのようなアイディアに対し、どのような権利を与えるのが妥当なのでしょうか。それを考える上で、著作権や特許権の仕組みが参考になると思います。

著作権は著作物が作られた段階で、申請の必要がなく自動発生します。申請が受理されてから発生する特許権とは対照的です。権利の効力も違い、著作権が相対的独占権なのに対して、特許権は絶対的独占権です。相対的独占権は、他者が独自に創作したものには及びません。つまりパクりはアウトですが、かぶりはセーフということです。なぜかぶりを良しとしているのかというと、誰がどこでなにを創作しているというのは把握しきれず、偶然のかぶりが許されないのであれば創作できなくなるからです。特許は、カブりもNGの絶対的独占権ですが、厳しく審査されたものが登録され、その情報は一元的に管理されて公開されます。絶対的独占権は容易に取得できないシステムと容易に参照できるシステムが伴っていないとバランスが悪いわけです。

これらのことから考えると、マジックのアイディアで絶対的な権利を主張したり、知らないアイディアとのカブりに対してあまりに神経質になるのは過剰に思えます。

著作権や特許権でもうひとつ重要なポイントは、新規性だけでは権利が認められない点です。新しくても創作性が無ければ、著作物とはみなされません。特許も、新規性以外の要件として進歩性などが求められます。新規性は必要条件であっても十分条件ではないのです。マジックも新規性だけでは不十分でしょう。容易に生成できるバリエーションは誰のものでもないと思います。容易かどうかの判断基準もまた難しい問題ではありますが。

しかし、世の中ほとんどの問題は程度問題であり、判断基準の難しさが伴います。何についても極端な主義に走らず、バランスを考えることが重要だと思います。

 

ポン太 the スミス

クレジット問題

クレジットをきちんと付けるべきだと我々マジシャンはよく言います。しかし、実際的にも哲学的にもそれは決して簡単ではありません。

このテーマで書くことになったきっかけはミッキー・ウォンというマジシャンです(スーパートリプルコインの人とは関係ありません)。シック2のティーザーで流れている3フライについて彼が不満を持っていることを我々は間接的に聞きました。何をクレジットしなかったと言うのでしょうか? プロット? 違います。それはクリス・ケナーのものです(ジョナサン・タウンゼントのルーティンにさかのぼることができます)。ルーティンのフェイズ? 違います。テクニック? おしい! でも違います。正解はなんでしょうか。

ミッキーの苦情は、バックサムパームをするときポン太がローレンス・ゴードンから習った中指の代わりに人差し指を使ったことでした。書き間違いではありません。違う指でやっただけです。より正確に言うと、新しい指でもありませんでした。ローレンス・ゴードンに確認したところ、彼もその指を試し、最終的に採用しませんでした。もっとも、その指が誰の発案なのかというのはポイントがずれています。そんな微妙なことにクレジットを求めるのは2つの大きな問題があります。ひとつは現実性の問題です。名前も知らない香港のマジシャンが思いついた本にも動画にも発表していないことをポン太が知っていたとしたら、彼はコインマジシャンというよりは一流のメンタリストでしょう。誰も思いついていないアイディアであることを確認するために世界中のローカルクラブを訪れなければならないのでしょうか。決して調べる必要がないと言いたいわけではありません。でもそこまで細かいところまでしないと不十分ならば、誰も発表する自信と時間が持てないことになります。

2つ目の問題は、もっと根本的です。マジックでは、とくにコインマジックでは指を変えることは誰もがすぐに試すことです。指違いは誰のものでもないのかもしれません。クレジットは白と黒に分かれるものではありません。片方の端にはゼロから作られたルーティンがあります。それはあきらかにクレジットする必要があるでしょう。もう片端には、既存のカードルーティンをそのまま、青いバイシクルの代わりに赤いバイシクルを使うだけの「アイディア」があります。まともな判断力がある人なら、それがクレジットに値するものだとは言わないはずです。しかし、ほとんどのマジックはこの間のどこかになります。問題はクレジットが大切かどうかというよりもどこで線を引くかです。

ミッキー・ウォンの場合、クレジットの必要性はかなり疑問です。それでも、ポン太はミッキーの苦情を聞き、彼をクレジットに加えました。しかし、残念ながらそれはこの話の終わりではありません。シック2の日本語版が出たとき(英語版は1週間後に出ました)、ポン太のクレジットに不満がある、とまた間接的に聞きました。しかしそれは日本語の誤解によるものでした。英語版が出たときに、彼がクレジットに納得する形で事態は終結しました。と、思っていました。が、また先日、ポン太が許可なしで発表したという書き込みが、彼の知り合いによってSNSに投稿されました。

アイディアを盗むことや人の貢献を認めないことはマジックの深刻な問題です。でも公然と他者を非難するとき、正しい根拠と正しいやり方で行わなければなりません。証拠もなく、本人と直接話そうともせず、指さして(人差し指©ミッキー・ウォン)中傷することは何の解決にもなりません。

ベン・ダガス

海賊版問題

ドロップシャフルをリリースしてわずか5日後に海賊版が2ドルで販売されているのを発見しました。私がいま抱いている感情は、残念ながらすべてのクリエイターが味わったことのあるものでしょう。でも私にとっては初めての体験だったので、この気持ちを共有したいと思います。これが残念だと思うのには、3つのあきらかな理由があります。

まず、単純に盗まれたという感情。撮影や編集などのすべての努力の成果が、ペイパルのリンクを貼っただけのやつの銀行口座に行くのは腹立たしいとしか言えません。これまでに買ってくださった(それほど多くない)お客様のなかに、泥棒が混ざっているのも複雑な気持ちです。

そして、これからのプロジェクトも同じ運命を辿ることを思うとそれも残念です。アーティストが費やした多くの努力と時間と愛が報われないのは胸が痛みます。それがマジック業界を滅ぼしてしまう要因になることはあきらかでしょう。しかし、滅んでいない事実が意味するのは、ほとんどの人が安い海賊版の存在に気付いていない、あるいは(私はこちらを信じたいですが)、アーティストの創作をサポートするための選択をしているということです。

あと、海賊版を買うことは自分を騙すことになります。初期投資が自分の態度に影響すると私は考えます。ルイ・ビトンのコピー品がすぐに壊れてしまうのは、品質が低いからだけではなく、所有者が丁寧に扱わないのもその理由です。同じことがマジックでも言えます。公式サイトで購入した正規品の動画の見方は、違法にダウンロードした海賊版の見方とかなり違ってくるはずです。

我々にはマジシャンとしての選択があります。クリエイターのためにも、業界のためにも、自分のためにも、正しい選択を願います。

 

ベン・ダガス

「見る」の種類

前回のブログではミスディレクションについて書きました。今回はそれを補足する内容となります。

タイトルにある通り「見る」には種類があり、例えば英語ではsee, look, watchに分かれます。ベンに聞いたところ、中国語でも同様の区別があるらしく、日本語で区別されないのは意外だとのことでした。

言葉を区別しないことは、認識を区別しないことにつながります。実際、日本人は「見る」の差異をほとんど気にしていないように思われます。もちろんそれで日常生活に支障をきたすことはありません。しかし、マジックを分析するにときは「見る」の区別が重要です。

see, look, watchの違いをおさらいしておくと、seeは「見る」というよりも「見える」が近いでしょう。視界に自然と入る感じで、意識的な行為でなく受動的です。能動的・意識的に目を向けて見るのがlookです。そして、さらに集中力が高いのがwatch で、特に動くものについて使われます。

マジックには当然、見せるべきものと見せるべきではないものがあるわけですが、その区別だけでは十分ではなく、見せるべきものについてはどのモードで見せるのかを考える必要があります。例えば、フォールストランスファーを見せる場合、seeが良いのかwatchが良いのかということです。

見るモードによって当然その後の処理も変わってきます。seeは自動的に発生するので、その後も自動的で浅い処理なります。分析的思考を伴わず、記憶に残りません。watchは意識された状態で深く(ときに分析的に)処理されて、記憶にも残ります。

watchさせたいことは、注意を促して行います。seeにしたい場合、ルックアップなどseeになる程度のミスディレクションをかけます。ルックアップとは、手元を見ている状態から観客側へ視線を上げることです。そのとき観客は演者の顔をlookし、その結果として手元がseeになります。

非注意性盲目を起こすには、前回のブログでも述べたとおり強いミスディレクションが必要なのですが、そのとき別の対象を見せるモードはwatchが適しています。

もっとも、これらの議論は単純化しすぎており、実際にはそれほどはっきり場合分けできるわけではありません。しかし、「見る」のバリエーションに注目することで、ミスディレクションをはじめとするマジックのセオリーがいろいろ見えやすくなります。

 

ポン太 the スミス